一人暮らしの父への思い

地方で一人暮らしをしている高齢の父への思いとは

2020年9月20日
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父のエンディングノート(介護、病気編)

1、自身に介護が必要になった際に希望すること

父も今年で96歳となり、介護保険制度の通所介護やヘルパー制度を利用しながら生活を行っている。今利用している介護保険のサービスで在宅生活ができているということは、反面施設入所等全面的な介助が今は必要ないということになる。

しかし年を重ねていくと、下肢等が弱り介護保険制度の在宅支援サービスを利用しても自力で在宅生活をすることは困難になる。そこで今考えておきたいのは在宅生活が困難になった時にどうするかである。

方法としては、自分の家を出て子供の家で暮らすか、あるいは介護保険施設に入所するかの2択だと思われる。それを父と話し合った結果は、介護保険施設への入所を希望した。

父の考え方は、自力で生活できなくなったら介護保険施設でお世話になりたい、遠くの知らない所より少しでも自宅に近い場所で暮らしたいとの思いでした。また、子供に面倒をかけたくない気持ちもあるようでした。

このことを兄弟みんなに伝えたら兄弟も納得したので、父に介護(自力で在宅生活が困難)が必要になった際に希望することは、介護保険施設への入所が父の希望であると結論付けました。

2、病気になった時の延命措置を望むか望まないか

2番目に重篤な病気になった時に、治療をどうするかである。例えば今持病で心臓の病気でペースメーカーを装着しているが、この心臓病が症状が悪くなり入院し、自力で心臓が思うように動かない時に、延命治療として人工心臓の装着や手術などが考えられる。

このように重篤な病気になった時に延命治療を施してほしいのかを父に説明をしてみた。すると、父からは”もう96歳まで生きられて幸せである、そうなった時は延命治療などはしなくていい”ということであった。

この内容も兄弟みんなに伝えたら、父の思いどおりでいいという意見であったので、重篤な病気になった時は、延命治療はしないこととした。

一応、介護と病気については関連していたので併せて父と話し合いを行いました。次の課題は、「相続に対する考え方」と「葬儀に対する希望」を説明して、父の思いを書きとめることにしました。

2020年8月20日
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父のエンディングノートの主な内容

父が思うエンディングノート

先にエンディングノートについては紹介しましたが、早速父とエンディングノートのことを説明してみると、父は父で今後のことを考えていたらしく大変乗り気で対応してくれました。

父が言うには細かいこと書きとめるより、主なもので良いという考えでした。そこで一番父が気になることは以下の内容でした。

1、自身に介護が必要になった際に希望すること

内容:今年96歳となるだんだん足も弱くなり、在宅で生活するのが不安になる。在宅生活ができなくなったときにどうするかである。

2、病気になった時の延命措置を望むか望まないか

内容:現在の父の持病は、心臓であり10年前にペースメーカーを装着している。他にも腎臓機能の低下等があり、服薬中である。あっては欲しくないが、今後も歳を重ねると新しい病気の発症や急に重篤な症状になる可能性が十分ある。

そこで、急に重篤な状態となった場合当然医療機関は、延命措置についての説明とそれを行うかの選択を家族に求められると思う。本人に意識障害がなく自らそれに答えられるのであれば問題はないのですが、ほとんど重篤の場合本人は意識がないのがほとんどと思われるので、本人が意思表示ができるときに希望の有無を聞き、書きとめる。

3、相続に対する考え方

内容:父の財産は預貯金、不動産、動産、農機具、自動車等である。預貯金を除くと評価額はある者の現実にはほぼお金にならない状況である。

しかしながら、今父が考えている財産分与や相続に対する考え方を子供たちに伝え、子供たちも素直に受け入れて対応することが必要と思われる。

4、葬儀に対する希望

内容:当然訪れるであろう父の死。それには葬儀という儀式を執り行うが、私たちも遠く離れて暮らし、父が暮らす地域の葬儀の状況、しきたり等がありいざ葬儀を執り行うとなると不安もある。

そこで父の自分の葬儀に対する希望を聞き、地域のしきたり等も伝えてもらい、それをもとに生きている私たちが葬儀を執り行うのが一番最良だと思われる。

最後に

父の生前の思いを直接聞いて、それを書きとめておくことはとてもいいことだと思っています。遺言状とは違いますが、だれに説明してもはっきりと父の意志がわかります。

私たち子供たちもそれに基づいて、対応していくことが一番の親孝行でもあると思います。

2020年8月6日
から admin
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父のエンディングノートとは

父の今後は

遠く離れていて父のことを思う時に、父ももう96歳終活が近いのはまちがいないと思う。それでは父の終活までどんな生活を希望するのか、子供たちへの伝えたい思いはどんなものがあるのかなど、父の希望や思いがわかると子供たちとしてそれに合った対応ができて、親孝行にもなるのではないかと思う。

思いを書きとめるエンディングノート

そんな父の思いをエンディングノートに書きとめてくれたらありがたいと思うこの頃である。父もその思いはきっとあるはずと思っています。ただ、自分からそういったことをするような父ではありません。

そこで、子供たちから提案したらどうかという話になり、兄弟で話し合った結果それは是非父に丁寧に説明を行い進めてもらうことになりました。

そもそもエンディングノートとは

そもそもエンディングノートを知らないで父に進めることはできませんので、いろいろと調べてみました。

ウィキペデイア「エンディングノート」の解説では、自身が死亡した時や、判断力・意思疎通能力の喪失を伴う病気にかかった時に希望する内容を記す。特に後者の内容を、事前指示と呼ぶ場合がある。

書かれる事柄は特に決まっている訳ではなく任意であるが、主に

・病気になった時の延命措置を望むか望まないか

・自身に介護が必要になった際に希望すること

・財産・貴重品に関する情報

・葬儀に対する希望

・相続に対する考え方

・プロフィール・自分史

・家系図

などがある。法的効力を有する性格の文書である遺言とは異なり、存命中や死後の家族の負担を減らすことを目的としているのがエンディングノートなんですね。

 

2020年7月21日
から admin
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久しぶりの父の状況に安堵

父からの電話連絡

久しぶりに父からの電話連絡があり、近況の状況がわかり安堵しました。なかなか仕事の都合で父への電話連絡も途絶えていた矢先に父から”どうしているんだ!”と連絡がありました。

そもそも父といつも話す中で、定期的に電話して近況報告をするように言われていた。今回は電話する合間が長かったのでしびれをきらしてか父から電話してきた次第である。

父の近況報告

しばらくは、”電話を何故しないのか!”と愚痴を言われて、電話をかけられなかったこちらの都合を説明しているうちに、父の方から近況報告があった。

日常生活は、以前と変わらず食事や洗濯など自分なりにこなして過ごしているということで安堵しました。病気や体調の不具合もなく過ごしていることがほんと良かったと思いました。

一番気がかりは、食事のことが気になります。食材を調達するには遠方まで行かないといけないし、偏った食事をしていないかなど、男所帯は食事が大変で気がかりになります。

ただ、救われるのは、介護保険制度のヘルパーさんやディサービスの利用です。昼間の食事は週に3日はディサービスで2日はヘルパーさんの食事介助で対応していいただいています。本当にありがたい制度で感謝しています。

ヘルパーさんの食事介助とディサービスの昼食以外を何とか自分で料理して食事をとっている状況です。自分でも今のヘルパーさんとディサービスの利用でまだまだ大丈夫と言っているのでもうしばらくは大丈夫だと思っています。

他の近況報告の中で父と同年代の方々がだんだん少なくってきて寂しいと言っていました。当り前のことですが友人や同年代の人がいなくなるのは寂しいですね。そんな寂しがっている父への電話連絡は仕事が忙しくても定期的に連絡しようとあらためて思いました。

最後に思うこと

やっぱり親孝行は生きているうちにするべきですね。もっと長生きしてほしいものです。

 

2020年4月29日
から admin
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母との別れ

昭和59年には、妹が高校を卒業し就職して、4人の子供たちも全て職に就いて父と母も一安心であったろうと思うし、盆、暮れに我が家に帰省すると、子供たちの成長にほっとした様子が伺えた。

昭和59年からは、夫婦二人で農業をしながら生活をし、好きな旅行に定期的に出かけて人生を楽しんでいた様子であった。母は、家事仕事とやっぱり忙しい日々を暮らしていた。

そんな母が、今まで大きな病気をしていない健康な状態であったが、ふと健康について考えたのか、町主催の健康診断を受診した。その結果、肺がんの疑いありの診断結果が送付されてきてので、早速地元の病院で精密検査を受診した。

私たち子供らも”がんではない””間違いであって欲しい”と願っていたが、診断結果はステージ3の肺がんであった。その後肺がんの摘出手術後、自宅療養を行った。手術後は、父のあたたかい看病もあって順調に回復した。

しかし、手術後3年目に体調不良を訴え緊急入院し、精密検査を行うとがんの再発がわかった。父、私たち子供らまさかと思ったが、それが現実であった。

医師からは、完治は難しいと言われ目の前が真っ暗になった。その後入院を継続し看病することになった。父は、昼間は農業で働いて、夜は毎日病院に通い母の看病に努めた。

私たち子供たちも、休日ごとに病院に通い母の看病に努めた。入院して3ヶ月後、平成13年3月に母が息を引き取った。

父は、立派なお葬式をあげてやりたいと言い、家族みんなでそのように進めることにした。立派なお葬式と言っても、祭壇が上等であったり、生花が上等であったりと見た目で高級感がうかがえるお葬式であったように思う。

私たちの地域では、この頃までは葬祭場を利用した通夜・葬儀は行われておらず、もっぱら自宅で通夜・葬儀を執り行う風習であった。そのため家族が亡くなると家の片づけや祭壇の依頼などとやることが多く、故人とゆっくりお別れができる様な状況ではなかったように思う。

今のお葬式は、家族葬など家族や親戚だけのお葬式が増えているが、これはこれでいい方法だと思う。

母が亡くなり、父一人となり、今までやったことのない家事、特に炊事には苦労したとよく話してくれる。そんな一人暮らしも29年を迎えようとしている。父も永遠に生きることはなく、今後のことを日々考えるこの頃である。

2019年10月14日
から admin
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父の略歴

父は今年で95歳となる。大正14年まれで戦前・戦中・戦後と荒れた日本の中で生きぬいてきた一人である。戦中では、日本兵の一員として出兵し終戦を韓国で向かえた。

命からがら日本へ帰国し、家業の農業を営んだ。作物は水稲・養蚕が主で林業の炭焼き業も併せて行い生計を立てていた。帰国後まもなく母と結婚し、私たち4人の兄弟を育て上げた。

農業については、戦後の急激な人口増加に伴う食糧難等もあり収入はまあまああったと思われる。長男を学費が多くかかる私立大学まで就学させたことからある程度の収入はあったと思われる。

しかし、昭和30年~40年代当時の農業は今と違い機械化が進んでおらず父・母は毎日朝早くから夜遅くまで働く毎日であった。父は、夜食事を摂るとすぐ床に就く日課であった。子供ながらに父が疲れている様子を感じていた。

その後、農業の機械化も進み、我が家も少しづつではあるが農業機械の購入も進んだ。そして農作業も少しづつ楽になって、規模拡大が可能となり、我が家でも水稲の作付面積を拡大していった。80aの水稲栽培を150aに拡大した。

結局、農業機械の導入により農作業が楽になるかと思ったのもしばらくで、規模拡大により毎日毎日重労働の日々が続いた。ただ、そんな父・母の働きがあって、私たち4人の子供は今があると感謝の思いでいっぱいである。

特に長男は当時後継ぎとして農業高校に入学したものの、長男の希望で私立の大学に入学し警察官となった。当然父の時代で農業も終わりとなった。父の農業継承に対する思いが途絶えてしまい申し訳ない気持ちにもなる。

今は、農地も近隣の農家に貸付して管理してもらっている。一人暮らしの父もヘルパーやディサービスなどを利用して何とか生活している状況である。